日本だけでなく、世界中で愛されているポテトサラダ。
いったい、ポテトサラダはどのようにして生まれたのでしょうか??
ポテトサラダの起源には、諸説ありますが、ロシアの「オリヴィエ・サラダ」がポテトサラダの起源であるということが有力な説とされています。
目次
図書館でロシアの食文化の本を借りる。
オリヴィエ・サラダについての情報が、ネット上にあまりにもなさ過ぎたので、図書館に行くことに。
広島市立中央図書館で、ロシアの食文化の本を借りてきました。
ロシアにはサラダがなかった!?
本を読み進めていくと、ロシアには生野菜にドレッシングをかけて食べるタイプのいわゆるサラダがほとんどなく、影の薄い存在だったことがわかりました。
冬が長く夏が短いロシアの厳しい風土では、新鮮な野菜を食べられる時期が短かったことが理由です。
そんなロシアの風土では、野菜を塩漬け、酢漬けにして容器保存して、生野菜を食べられない時期をしのいでいました。
そんな中で、ロシア・サラダの代表格とみなされるのが「オリヴィエ・サラダ」なんです!
オリヴィエ・サラダとは?
概して、ある料理がいつ、だれの手によって作り始められたのか、あるいはどこから伝わってきたのかといった起源を確定するのは、たいへん難しいが、オリヴィエ・サラダは、サラダの中では珍しく、その「ルーツ」がはっきりしているものである。これを考案したのは、モスクワのレストラン「エルミタージュ」のシェフをつとめたリシュアン・オリヴィエというフランス人で、そのため料理名に彼の名前が冠されることになった。
沼野充義・沼野恭子(2006)『世界の食文化―19 ロシア』
オリヴィエ・サラダは、その名の通りオリヴィエさんが考案したサラダです。
1864年に開店した、ロシアの「エルミタージュ」というフランス料理屋さんでオリヴィエ・サラダは出されていました。
オリヴィエ・サラダは19世紀とともに消えてしまった幻のサラダ。
オリヴィエさんは、そのサラダの作りかたを明かさないまま、亡くなってしまいました。
彼が亡くなると同時に「オリヴィエ・サラダ」は、誰にも再現できないものになり、幻のレシピとなってしまったのです。
その後、オリヴィエ・サラダを再現したサラダが作られたが、それもどこまで信じてよいかがわからないそう。
実際にロシア料理店でオリヴィエ・サラダを食べてみた。
ポテトサラダの大先輩である、オリヴィエ・サラダを食べずして、何がポテトサラダ協会だ!!
ポテトサラダの150年の歴史を感じるため、オリヴィエ・サラダが食べられるお店に行ってきました。
日本のポテトサラダと何が違う?
こちらが、ロシア人が営むロシア料理店のオリヴィエ・サラダです。
日本のポテトサラダとの違いは、
- 食材が全てさいの目状に切られている
- じゃがいもが潰されていない
- ピクルスが入っている
- 何かわからないけど異国間のある香りがする
ということでした。
食レポはこちらからご覧ください。

我々ポテトサラダ協会があるのは、オリヴィエさんのおかげ
ポテトサラダの起源には諸説ありますが、ポテトサラダの起源がオリヴィエ・サラダであるとするならば、我々ポテトサラダ協会が今、こうして活動をしているのもオリヴィエ・サラダ、いや、リュシアン・オリヴィエのおかげなのではないだろうか。
オリヴィエさんへの感謝の心を忘れず、今後も活動を続けてまいります。
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